091 林式は実用されていたのですか 投稿者:たかひろ  投稿日: 5月31日(月)10時05分25秒

おやじさん、詳しい解説をありがとうございました。
林式は実用されていたのですか!これは私の不勉強でした。
どんな書線か、見てみたいものですね。
で、おやじさんご自身の見解としては、濁音は「濃線または
加点(ダッシュ)の方がよいのか、それ以外の方法がよいのかという
ことは、その方式の個性もあるので、一概には言えない、ということなのでしょう。
魔術師さん、ご説明をありがとうございました。
和語の濁音も、連濁でなくとも濁音として表さなくても読めるのが多いですね。
でも、固有名詞となると、これは濃線というアナログ的なものは不適だと思います。
とにかく濁音を表すのは、特定の符号を除いては濃線だけ、となると、筆記用具を
限定してしまいますから、個人利用向きのもとしてはよくないと思います。
(そんな方式はないかもしれませんが)

それから、私が「ほほおおお!」と感じて忘れられない言葉として
次の言葉を挙げたいと思います。
(元の言葉のままではないと思いますが)
中根正親
「速記方式において、法則を作ることは易しいが、応用範囲の広い価値ある法則を
少なく作ることは難しい。」

意味はこれであっていると思います。
正確な言葉は、どうだったでしょうか。


092 本濁と連濁 投稿者:失恋魔術師  投稿日: 5月30日(日)23時28分33秒

 たかひろさん初めまして。
 私も日頃から「速記道楽」を楽しんでおります。

 やはり、石村式を学ばれた方は日本語の速記法での濁音表記は気になるところだと思います。
 例にあげられた「銀閣」「前年」「人災」は、あくまでも「ギン」「ゼン」「ジン」であり、濁らずには発音することができません。→【本濁】
 これに対して、「小声」や「暗算」などの「こゴエ」や「あんザン」は、音の複合によって濁るケース→【連濁】で、「声」や「算出」となると「コエ」「サンしゅつ」といったように清音で発音します。

 連濁の場合は「濁音」による書き分けを必要としません。容易に濁音を判別できます。「割賦…カップ」などの半濁音も連濁ですから、速記文字は書き分けなくても判別できます。

 ただ、日本語の場合は「本濁」の方が圧倒的に多いですし、固有名詞の濁音も出来ればきっちり表記すべきです。
「田鎖76年式」はハ行の半濁音が別形で設定されていますが、これは固有名詞や外来語の表記を明示するための方策のようですね。

 発せられた音が「本か連か」を瞬時に聞き分けるのは相当な慣れが必要と思われますが、いずれにしても「濁音表記」に対してどれだけの比重を置くかという速記に対する考え方の違いが、使い手の差異として現れる部分であると思います。
編集済


093 濁音表示の別法 投稿者:北の道楽おやじ  投稿日: 5月30日(日)21時40分25秒

 途中で速記方式を切りかえても、最初に学習した速記方式の影響は多少残るようです。 
 私自身が書いている速記文字は純粋培養の中根式の人とは連綴などにおいて多少違うところがあります。

 標準的な中根式では「長音」と「拗長音」を一括して「長拗音」の形で指導します。基本文字に大カギをつけた形で下記のように読みます。
  カ→キャ、キ→キュウ、ク→クウ、ケ→キョウ、コ→コウ
 そのあとで「拗短音」の速記文字を指導します。

 私が法則体系を組む場合には「長音」「拗短音」「拗長音」を別項目で組みます。この組み方は早稲田式の組み方です。

 SVSD式は林 甕臣(みかおみ)の複画のものがありましたね。
 「日本速記年表」には、
 明治25年3月6日 松本地方裁判所で開かれた代議士中村弥六の官吏侮辱公判で、その証拠になる政談演説速記録(巡査が林甕臣式で速記したもの)の鑑定人として市東謙吉が出廷を命ぜられた。方式が違うから読めないということで、結局は証拠不十分により無罪となった。(「速記彙報」第42冊)

 桜井ふさ著「飛行ガナの練習」昭和13年8月29日発行はSVSDの折衷です。「飛行ガナ」と書名に書かれていたので、速記関係書から漏れたものと思われます。

 SVSD式は小谷式によって単画で成功したと、私は捉えております。

 中根式では濃線を用いておりますので、濁音はヅ・ブ以外は濃線で構成されておりますが、シャープの普及によってヅ・ブを濃線で書けるようになりました。
 中根式関係者は初歩の段階では濃線を使用しておりますが、速度が上がるに従って濃線を自然に使用しなくなります。
 中根式のテキストには書かれておりませんが「濃線表示の別法」があります。これは基本文字、濁音における濃線を淡線で書いてからダッシュで切る方法です。(基本文字の段階では指導する場合には、分速150字程度は濃線と淡線で書くように指導をします)
 中根速記学校では、いつごろから使用されているかわかりませんが、少なくとも昭和16年の卒業生が使用しております。
 文例を見ると濃線であるべき速記文字は全てダッシュで切っております。ちなみにその方は優秀な速記者でした。
 また分速360字を濃淡を使い分けて書いている速記者もおりました。

 私自身は濃線を使いません。濃線のかわりにダッシュで切る場合もありますし、加点をつけることもあります。
 また別の速記文字で書き分けもしております。
 「金閣寺」と「銀閣寺」は、「キン」はキの左側に小円逆記、「ギン」はキの右側に小円逆記で書きます。
 「前年」と「先年」、「人災」と「震災」の場合は、1uN尾音符号を使用しますので、いずれも濁音の場合は加点を使用します。
 これ以外のものについてはダッシュをつけております。速記文字でダッシュをつけないと読めないものは自然にわかってきます。固有名詞や知らない言葉に対しては全部ダッシュなどの符号をつけて書きます。
 また、「地域」と「区域」などは濃淡の違いですから別の速記文字を用意しております。

 濃淡を書き分けることは、リズム感があるという速記者もおりますが、そういう人は優秀な部類に属すると思われます。
 一般的には濃淡を書き分けるよりもダッシュなどで書き分けた方が精神的には楽だと思います。

 石村式の濁音表示における小円順記はもったいないと感じる方もいることは確かです。

 昭和15年に発表された乙部泉三郎(おとべ せんざぶろう)さんの泉式では「全音速記」と称して濁音に限らず全ての音に対して速記文字を割り当てております。 


094 やはり石村式ですか 投稿者:たかひろ  投稿日: 5月30日(日)19時00分37秒

TIMACEは、やはり石村式に近いですか。
三つ子の魂百まで、かもしれませんね。
新しいものを作っても、最初にならった方式の線の特徴や省略に関する基本的な
方針などは、だいたい受け継ぐようですね。
そういう意味でも山根式は国字式によく似ており、親のDNAを濃厚にもらっている感じですね。
そういう中で、小谷式がもっともどれにも似ていない、というか、少なくとも基本文字ではどの系統でもない方式であり、濁音に濃線を採用するところや、純単画という点では
国字や山根に似ていますが、単画でSVSDという発想はまったく小谷氏の独創だといえるでしょう。(古くは林某のSVSDがあったようですが、あれは複画で、実用になっていなかったと思います)
それで、小谷式の書線の感じは、流しを多用するなど、小谷氏がはじめて速記に接した方式である早稲田の色が濃いように感じます。
ここで一つ道楽おやじさんのお考えをお伺いしたいのですが、「金閣寺と銀閣寺」
「前年」と「先年」、「人災」と「震災」、などのように、特に紛らわしい
濁音を持つ語にはなんらかの対策をするとしても、濁音一般を濃線とすることについて、
メリットとデメリットのどちらが大きいと思われますか。
石村先生は「中根式の濁音濃線はなんとかしなければならないと思った」という
お考えから、石村式では濁音を小円順記とされたわけですが、その小円をもったいないと感じるかたもおられるかもしれません。


095 原型のアレンジ 投稿者:北の道楽おやじ  投稿日: 5月30日(日)16時56分22秒

 「原型のアレンジ」は、速記文字を改良・研究するには手っ取り早い方法だと思います。ほとんどの改良・研究はたかひろさんが言われるような段階で進んでおります。
 最初の段階では「略字」程度で書きにくい速記文字を追加・変更をします。
 3.4.の縮記法・略記法の一部を変更するには、その速記法則の裏側まで熟知していなければできないと思います。既成の法則とのからみもありますので、速記法則の整理(廃止、新設)をしなければなりません。
 5.以降は基本文字を残して縮記法・略記法の運用方法を変えてしまえば別の方式かもしれません。本人が母式を名乗るか、自分の名前で名乗るかだけだと思います。この段階で母式を名乗っていれば一括して「○○式」ではないでしょうか。
 7.のように基本文字を全部変えて、母式の法則体系をそのまま運用しますと速記文字などに無理が生じます。
 法則体系に「逆記法」「順記法」を採り入れるどうかは意見が分かれるところです。私は「逆記法」「順記法」に固執をしておりませんので、法則体系を構築する場合には順記・逆記併用の形を採り入れております。

 
 基本文字を変更することは簡単ですが、既存の速記法則を全て否定して全体的な法則体系を構築することは容易なことではないと思います。

 中根式を例にとりますと、全国各地にいろいろな書き方がありますが、どの書き方を採り入れるかは、各人の速記法則の好みもあります。ほとんどの方は習ったとおりに使用しておりますが、速記法則の好みを持っている方はほんの一部だと思います。
 私は植田 裕先生の速記法則を採り入れております。中根速記学校と植田裕先生の速記法則を折衷した形ですが、競合する速記法則を整理しております。

 TIMACEは石村式に近いと思います。
 1.下降線における速記文字の考え方。 
 2.拗音別形「シュク、ジュク、ジュン」等々、基本文字の頭部を利用する方法。

 TIMACEにおける「純複画」と田鎖式系における「複画」というイメージは違うように思います。


096 原型をアレンジ 投稿者:たかひろ  投稿日: 5月30日(日)10時02分13秒

おやじさんがおっしゃった「原型をアレンジ」もよい表現だと思うのですが、
大きく分けて次のような段階があると思います。とりかかりやすい(よくやる)
順に書きますと
1.特定の略号を追加する。変える。
2.特定の略音を作る。(例:その方式ではキョクが書きにくいので、その
略形を別に設ける)
3.特定の縮記法を作る。変える。(例、その方式では○ャクが書きにくいので
それを別のに変える)
4.略法を一部変える。(例、数字の省略法を変える)
5、略法をがらっと変える。(例、インツクキ長音をすべて順記に変える)
6,基礎符号を一部変える。
7.基礎符号をすべて変える。
この7までいくと、全く別方式になりますが、5まででも、別方式となった
と言えるかもしれませんね。


097 符号の一部変更と 投稿者:たかひろ  投稿日: 5月30日(日)09時50分25秒

道楽おやじさん、いわく
 私は「符号いじり」という言葉よりも「速記文字を改良する」とか「原型をアレンジする」という言葉を使用したいと思います。
たかひろ
そうですね。ただ、本人としては改良のつもりでも、はた目には「あれでは改良と言えない。別のところにしわ寄せがきて、プラスマイナスゼロだ」と見えることもあるでしょう。
で、「符号いじり」というマイナス言葉でもなく、「改良」というその作業の主体による主観的な言葉でもなく、中立的な客観表現としては「一部変更」とか「略法の追加」
とか何かの言葉で言えばばよいのではないかと思います。

おやじさん、いわく
 速記界では、速記文字を改良することは「分派をたくらむ野心がある」という痛くもない腹を探られた時代もあったようです。
たかひろ
なるほど。本部(あるいは、創案者)が規範とする符号や略法を一部でも
変更されることをいやがる家元的な心理が「符号いじり」という言葉を生んだのかもしれませんね。
ある研究家のかたなどは、創案者でもないけれど「僕は符号いじりはしない」とおしゃっていました。それはそのかたの主義なのでしょう。
私などは、石村式で、低速度のころから「一部変更」をしていました。
独習でしたので、もちろんですが誰もそれに対してとやかく言う人はいません。
石村先生の入門書には「自分の習っている方式に対して文句を言わず、
まずは1級までがんばって、1級合格のあとは、スーパー石村式でも何でも作って
ください」と書いてありました。
私は石村式で1級に合格してから、小谷式を基礎符号から自分なりに変えたものを
組み立てましたが、これは結局案に終わり、いまは一行速記のTIMACEです。
純複画という点で、ユニークなのではないかと思っています。
おやじさんの分析としては、TIMACEはそれまでのどの方式にもっとも
近いでしょうか。


098 大阪でもお会いしております 投稿者:北の道楽おやじ  投稿日: 5月29日(土)23時18分53秒

 愛知県のKさんと2人でたかひろさんの会社へおじゃましたことがあります。このときも「速記科学研究会」の前日だったと思います。
 
 私は平成8年7月まで東京に住んでおりました。北海道へ戻ってきてから8年になります。
 現在、北海道のど真ん中で中根式を使用しているのは私だけです。

 速記方式を書きやすく改良することは、使用する側にとっては非常によいことだと思っております。
 速記に対して熱心な方ほど速記文字を改良・研究しております。何十年も前に習った速記文字を全く改良しない?というのは、その速記文字に満足をしている方だと勝手に解釈しております。

 ご存じのように言葉は時代とともに変化をしますので、法則を改良・研究をしない速記方式は自然消滅しております。

 私は「符号いじり」という言葉よりも「速記文字を改良する」とか「原型をアレンジする」という言葉を使用したいと思います。

 速記界では、速記文字を改良することは「分派をたくらむ野心がある」という痛くもない腹を探られた時代もあったようです。


099 どなたなのか、想像しています 投稿者:たかひろ  投稿日: 5月29日(土)10時40分5秒

道楽おやじさんは、やはり私と面識のあるかたでしたか……。
あのかたかな、それともあのかたかな、といま、想像しています。

手書き速記の醍醐味は速記符号を自由自在に研究できること、と
おっしゃる道楽おやじさんのお言葉は、まさに「我が意を得たり!」です。

それから、中根式はともかく、早稲田式は、普通はかなりのスペースを食いますね。
私が学生時代、授業中に教授の言葉を速記でとっていた男がいたのですが、
半紙を横にして1ページに3〜4行くらい書いていたので、それを見た私は
なんて無駄なスペースが多いのだろうと思いました。
でも、速記って便利でおもしろそうだなと思ったので、本屋へ速記の独習書を買いに
行ったら、早稲田式はなく石村式があったので、それを買って一人で練習を始めた
わけです。
それでひとつお尋ねしたいのですが、速記者が自分の速記符号をより使いやすいものに
マイナーチェンジ(あるいはミドルチェンジ)すなわち「改良(少なくとも本人の意識の中では)」することは、決して悪いことではないと私は思います。
植田先生の方式も、その範疇に入るのかどうかは
わかりませんが、ところがそれを「符号いじり」という言葉で、マイナス評価を持って表現(批判)する向きがあるようです。
あるいは、それは私の思いすごしで「符号いじり」という言葉には批判的なニュアンスがまったくないのでしょうか。
符号いじり、という言葉に対して道楽親父さんは、どう思われますでしょうか。


100 お会いしていると思いますが 投稿者:北の道楽おやじ  投稿日: 5月28日(金)21時41分0秒

たかひろさん、書き込みをしていただきありがとうございます。毎年、年賀状をいただきながらごぶさたをしております。

 昭和54年8月27日〜28日に高野山で速記研究会が行われてから、もう25年になりますね。泊まったのは「高野山三宝院宿坊」だったように記憶しております。
 当時参加された方で大阪のHさんは、かなりインパクトが強い方でしたね。
 たかひろさんからいただいた「一行速記要訣」は今でも大切に保管しております。例文は昭和53年10月10日の○○新聞の社説でしたね。
 また「TIMACE」は昭和57年8月21日の速記科学研究会(上田市)の席上で発表されたと記憶しております。
 中根式はスペースをとるかどうかは速記法則体系によって違います。標準的な中根式ですと上段、中段、下段を使用しますので、早稲田式と変わらないと思います。
 植田裕先生の体系では「短記法」を使用しますので、縦線は短くなります。B方角「セ、ト、ソ」、C方角の「ヘ、テ、ホ」などは長線ですが最小線で書きます。
 速記文字を書く大きさによるかもしれませんが、3行ぐらいは使用すると思います。
 手書き速記は個人利用では非常に便利ですし、捨てがたいという面があります。個人利用では複雑な法則体系は必要ありませんが、手書き速記は速記法則を研究するという意味で、別の面からみるとおもしろいと思います。
 手書き速記の醍醐味は、速記文字を自由自在に研究ができることに尽きると思います。


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