「 より多くの人々が気軽に速記を楽しんでほしい 」 という思い


 田鎖家の速記初代としての綱紀氏、そしてそのご子息の一氏、お孫さんの源一 氏のいずれにおかれても、衆議院式や参議院式、早稲田式や中根式、その他の速 記方式 ・・・ 等々、諸派ある中、いろんなことを感じておられたのではなかろ うかと感じます。

 極端な言い方かもしれませんが、例えば、前後関係で反訳するようなある種高 度に複雑に法則を展開して書かれる方式に対して、76年式のような方式の 「 存在意義 」 といったものに一つの方向性を見出しておられたように感ずるので す。

 そしてまた、これは私の推測に過ぎませんが、恐らく、76年式あたりに対し て、究極的には 「 中速度速記法 」 を方式コンセプトとしてのイメージの一番 中心に描いておられたのではなかろうかと感じます。

 石村式の石村善左氏 ( 改名前の名前をあえて書きました ) も、ある部分と いうか、少し似た意味で 「 中速度速記法 」 を描いておられた部分が大きかっ たであろうと感じます。

 かといって、「 高速度速記を放棄した 」 といった固定的なものも、これま た、なかったような ・・・ 。

 田鎖源一氏、石村善左氏の両氏ともに、私の推測、所感として少なくとも言え ることは、「 より多くの人々が気軽に速記を楽しんでほしい 」 といった思い を強く持たれていたように感じます。