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講習会速記資料


                (復刻版)


中根式速記協会 北海道支部


昭和48年5月作成
平成16年4月復刻




 昭和48年6月に道立○○商業高校の速記部員を対象にした講習会で使用した 「速記史の基礎」及び「速記方式の基礎」を復刻しました。講習会の 初日に指導した内容です。
 原本は手書きの文字ですが、読みやすくするため復刻版はパソコンで作成しま した。
 講習時における重要な部分は〔 〕で空白をあけておりますが、空白の部分は 板書で指導しております。
 答えはホームページの中にありますので、〔 〕の部分は、解答をつけません。 各自で速記関係の文献等で調査してください。速記のおもしろさ がわかると思います。



速記史の基礎

速記の起こり
 速記が発明される前のヨーロッパでは普通の文字では話す速度に追いつけない ので、簡単な符号を用いて略記していた。その符号はギリシャのアテネやデルフ ィで発見をされている。体系的に現在のものに近づいてきたのは、古代ローマの 雄弁家Ciceroの弟子Tiroiに創案させたものである。

Tiroの略記法
 Tiroの師Ciceroは、古代ローマの政治家であるとともに哲学者・雄弁家であっ た。Ciceroは国内を遊説して歩き、弟子であり、秘書であるTiroが、ローマ字を 利用した略記法を用いて筆記をした。Tiroの略記法は公表をされなかった。Tiro はCiceroの死後、その演説集を公にした。当時は元老院でも用いられた。Cicero が〔     〕に虐殺されたとき、Ciceroの演説集とともに、その略記法は埋 没されてしまった。

近代の速記法
 〔   〕にイギリス人のTimothy Brightが考古学を研究中、偶然にTiroの略 記法を発見した。Brightは、これを基礎として略記法をつくった。同〔   〕 に記号学と題する本を著した。これが世界で初めての速記学術書である。この記 号学が誘因となって〔   〕にはWilis式が出て宗教関係に用いられた。体系 的に整ったのは〔   〕のMason式である。この方式から別れたGurney式は裁 判にも用いられた。しかし、これらの速記は不完全であったので、それらを是正 し、本格的な速記符号にしたのがIsaac Pitmanである。

Pitman式
 Pitmanは、イギリスの学校の先生であったが、〔   〕に今までの速記法に 大改革を加えStenographic Soundhandを発表した。そうしてPhonographyという 本を著した。また速記学校を創立したり、速記文字で印刷した本を80冊も出版し たりする大活躍を続けて、速記の発達に大きな貢献をした。こうした功績により 1894年にビクトリア女王から「ナイト」の称号を授けている。

日本の速記
 我が国では明治になるまでは「速記」というものは考えられていなかった。大 体の要領だけを筆記することは1,000年も前から会議や裁判の口述を書き取ると いう形で行われていた。
 この筆記法というのは、簡単な絵を描いておき、記憶を助けたり、種々の符号 を使ったり、漢字の「編」や「つくり」を取って簡単にしたものである。僧侶達 の間では、菩薩と書くのに「ササ」と書いたりしていた。しかし、これらは速記 とは言えない。

速記の元祖
 明治維新以後には、欧米文化の影響により、政談演説が盛んになりこの機運に 刺激されて速記に興味をいだき、欧米の図書を買って研究した先覚者は大勢いた。 中でも苦心の末、50音の基礎文字をつくり上げたのが〔    〕である。
 〔  〕が、速記の研究をしようと思ったのは、明治4〜5年ごろである。日 本に住んでいた米人鉱山技師カーライルのところで勉強中、米国にGrahamが著し たAmerican Standard StenographyというPitman系Graham式を読んでいて、大い に興味を持ったからである。以来10年間は研究を重ね〔    〕9月19日の時 事新報に〔     〕という名前で発表した。

苦心した記号づくり
 最初は60余の基本的な符号をつくり、これを応用して3,600余の言葉の記号を つくったが、しばしば混乱を生じたということである。そこで記号の数をふやし て遂に9万余となった。表音的な基礎符号と、表語的な略符号から成り立つ欧文 速記方式を見て、略符号の方を中心にして速記方式を組み立てた。それは簡単な 線になるが、略符号の数が多くて役には立たなかった。この原稿は火事で焼けて しまった。
 田鎖は、初期の田鎖式の記号(符号)を消失したのを機会に、別の簡単な方法 を考えた。100余の単音記号と200余の複音記号から成り立っている。表語記号と しての略字を無視し、表音記号としての基礎符号だけで組み立てたのである。
 これが講習会で教えた田鎖式である。
 〔     〕に「日本傍聴筆記法講習会」の開講式が行われた。これが日本 で最初の速記教育である。それは講義中にたびたび基礎符号を変えたりして、実 用にはほど遠いものであった。弟子達によって次第に改良されていった。

草創期の苦心
 田鎖の「日本傍聴筆記法講習会」は〔    〕に始まった。最初数十名いた 受講者は、卒業の〔     〕には17名になっていた。この一期生の中で〔     〕〔    〕〔    〕〔    〕を中心とする数人のグループは 講習会終了後も引き続き「傍聴筆記法」の研究会をつくって符号の改良、その他 に努めた。
 田鎖の弟子達のこうした努力によって、日本最初の速記法は実用化へと踏み出 したのである。このころのことを福岡 隆氏は次のように語っている。
 「こんなことを幾らやっていても、自分たちの実力がわからないから、いっぺ ん腕試しをしてみようということになるわけです。そこへ、たまたま郵便報知新 聞社から、自由新聞紙上の記事取り消し談判の速記をしてくれと、頼まれ、若林 が速記をしたものでした。さぞかし大変だったろうと思います。またその郵便報 知の記者だった矢野文雄(龍渓)から「経国美談」の速記を頼まれるわけです。こ の本が出たときに矢野氏が初めて速記という言葉を使いました。」

帝国議会の開幕
 田鎖が明治15年に速記法を発表したことによって、日本にとって幸せなことで あった。それから8年後の明治23年に帝国議会が開かれることになったからであ る。このため速記法の研究にも一層拍車がかけられ、日本の速記法は、大きく進 歩したと言えるのである。
 明治23年の帝国議会では、6人の常任速記者が中心に合わせて34人の速記者が 議会の記録作成という重要な仕事に取り組んだ。現在では衆参両院合わせて約30 0人の速記者がおり、第一回帝国議会から今日まで全部の発言記録が残っている のは世界中で日本だけである。こうして、速記は議会の中で現代史をつくり上げ ていったのである。国会議事録は、今でも国会図書館に保存されている。

初の電話速記
 明治23年には、東京−大阪間の長距離電話開設と同時に、時事新報の矢野由次 郎によって電話速記が開始された。
 電話で原稿を送ることによって、時間が短くなり、事件はその日のうちに全国 に伝えられたが、こういうことができたのも速記があったからであり、国字で書 いていたのでは電話代が高くてとてもできなかったと思う。

中根式速記
 大正〔    〕付の大阪毎日新聞に、中根正親先生の中根式が発表をされた。 中根正親先生は、当時、京都帝国大学の学生で、土木科に在学をしていたが、速 記に関心を持ち、熊崎式を学習した。しかし、その構成に満足できないだけでな く、既発表の他の速記方式にも不満を感じPitman式から再検討することになった。 また中根式では覚えやすさに重点を置いて、法則性を重んじ、略字も特定的要素 をできるだけ少なくするため、中間小カギや最大線の使用によって法則化した。 そうして、この覚えやすいという長所を利用して、速記を日常生活に取り入れる ことを考え、その理想を実現のため、早くから各地に支部を設け積極的な普及運 動を開始した。それを推進したのが創案者の弟・中根正世先生であるが、この行 き方は速記方式の開放ということで速記教育の立場からも大きな意味を持ってい る。
 現在は昭和〔   〕から高校生の全国大会を行っている。
 また中根正世先生は、昭和46年10月31日に、西村防衛庁長官より「長年にわた り、数多くの部隊において、簡易速記法の普及、教育を行われ自衛隊の文書実務 の迅速化に貢献されるところ、大なるものがあった」と表彰をされた。
 昭和47年11月3日の文化の非常には、60年にわたる速記教育普及の功を認めら れ「勲五等双光旭日章」を受賞されている。


大衆化時代に入った速記
 年号が改まって、昭和に入ると帝国議会や裁判所ばかりではなく、速記はジ ャーナリズムにとっても欠くことのできない大切な武器となった。もし、速記が なかったら、今日どこの雑誌でも見られるような話し言葉そのままの生き生きと した、座談会記事を読むことはできなかったかもしれない。しかし速記の学習法 についての研究は、それほど進まなかったため、その習得に時間がかかり、その ために速記は、まだ一部専門家の域を出なかった。現在のように、小説や秘書や ビジネスマンが広く利用するようになったのは、速記が学習しやすくなった戦後 のことである。日本の速記も90年の歴史を持ち、今日まで発表された方式は、約 100方式に達しているが、どの音にどんな速記線を使うか異なるため、速記方式 が違うと速記文字も異なっている。
 現在、使われている方式で主なものは、石村式、熊崎式、参議院式、衆議院式、 田鎖式、中根式、山根式、早稲田式などがある。

※昭和48年当時。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



速記方式の基礎

符号式
   単画派
   複画派
   折衷派

文字式
印字式

四大方式とは〔    〕〔    〕〔   〕〔    〕

方式名
 相賀式、荒浪式、石村式、新石村式、泉式、イトー式、伊東式、井辺式、岩村 式、インスタント速記、植岡式、植村式、植松式、大川式、新大川式、カナモジ カイ式、加藤式、川守田式、ガントレット式、木村式、北村式、新北村式、清沢 式、日下部式、熊崎式、国字式、国際式、佐竹式、桜井式、酒井式、堺式、参議 院式、衆議院式、下島式、島田式、島田カナ式、寿光式、菅原式、静香式、ソク タイプ、武田式、高橋式、高木式、田鎖式、田鎖51年式、田鎖60年式、田鎖67年 式、田鎖76年式、高槻式、宅間式、土田式、佃式、デーゲン式、寺谷式、同盟式、 渡島式、中根式、長商式、超中根式、中庸式、26年式、日本グレッグ式、日速研 式、丹羽式、新丹羽式、日大式、林式、林甕臣式、標準式、富士式、藤塚式、藤 木式、松崎式、毎日式、牧式、牧式タイプ、三村式、水元式、三浦式、モリタ式、 毛利式、文字式、森山式、森本式、山根式、安田式、ユニ式、吉原式、米田式、 ローマ字式、若林式、早稲田式

速記線
 短線……直線、曲線、湾曲線、円、楕円、カギ。
 複線……直線、曲線、カギ、円、逆カギ

流派
 符号式〔   〕〔   〕〔   〕
         〔   〕
         〔   〕〔   〕
     〔   〕
 文字式〔   〕
 印字式〔   〕

用語
 全音速記〔   〕〔   〕
 縦書速記〔   〕
 仮名速記〔   〕〔   〕〔   〕〔   〕〔   〕〔   〕〔    〕
      〔   〕〔   〕〔   〕〔   〕

明治時代の速記


各方式の紹介
 ※別紙参照(PDF 251KB)

各方式系統図
 ※別紙参照(PDF 73KB)

近代の速記術
 英国 ブライト〔    〕1588
     ウィリス〔    〕1602
     メーソン〔    〕1672
     テイラー〔    〕

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