日大式について

 早稲田式は有名ですが、日大式があったことを知っている人は少ないと思いま す。
 私が昭和42年11月ごろ、偶然に入手した資料及び資料を送っていただいたM. Sさんとのいきさつから書いてみましょう。
 私は高校2年生ごろから「国会会議録用字例」を持っておりましたので、社団 法人日本速記協会から「全国速記教育機関一覧」(昭和41年9月15日 日本速記協 会調査部作成)をいただきました。昭和42年9月末ごろから全国各地の速記教育 機関へ資料の請求をしていました。自宅ではなく高校速記同好会の住所を使用し ておりました。いろいろな速記教育機関から資料をいただいた中には「東京YW CA学院」の入学案内も入っておりました。ちなみに私が在学をしていた高校は 男子校です。
 資料請求で返事があった方式では、早稲田式、中根式、参議院式、衆議院式、 熊崎式、植岡式、泉式、国字式、山根式、長商式、田鎖式と社団法人日本速記協 会でした。
 資料は来ませんでしたがカナ式の養成所へ、日本大学法学部新聞学科のM.S さんが出入りしており、たまたま私が出したはがきを見て連絡がありました。
 2回目の手紙には「日本大学法学部祭」で新聞学会速記研究班が配付したパン フレットと日大式についての説明文が入っておりました。
 封筒には昭和42年11月16日?の神田局の消印がかすかに残っております。

 それではM.Sさんの手紙を紹介してみましょう。プライバシー保護の観点か ら実名ではなくイニシャルで表記します。文中で「○○年」と書かれているのは 「昭和○○年」です。







 まず日大式速記について説明します。
 日大式は石渡修二師が草案された「中央式速記術」にその源をなしています。
 石渡師は昭和7年から今日に至るまでの34年間、プロ速記者として各方面で活 躍を続けておられます。
 この中央式速記術がいかにして誕生したかについて、石渡師は「私は昭和5年、 当時盛んだった田鎖塾に1年半くらい通いました。それでどうにか速記者として モノになったので翌々年からプロ速記者として出発したのです。しかし、田鎖式 は複画式のため大勢の人の座談会になるとスピードが出ず、速記するのに随分苦 しい思いをしました。そこで私はだれでも簡単に覚えられ、また、どんなスピー ドにもついていける速記術の研究を始めました。そして18年間の研究の末、田鎖 式、佃式、武田式などの各式の長をとり短を捨ててつくり上げたのが、この中央 式速記術です。
 しかしこれもまだ完全なものではなく、幾多の研究、改良する余地があるので、 これを君たちの手で立派な速記術にしてもらいたい」と語っておられます。
 こうして誕生した中央式速記術は33年から同師に師事したY.K氏(現在トラ ベルジャーナル勤務、39年日大新聞学科卒)が38年春、顧問に平田栄一助教授を お迎えし、法学部新聞学会に速記研究班を創設し、その速記術を「日大式速記 術」と命名して活動を始めたのです。
 石渡師の意思を継ぎ、完全なる速記術への研究のために生まれたのがこの「日 大式速記研究会」なのです。

 現在の活動は、Y.K氏に直接重要事項については相談をしつつ、毎日昼休み4 0分間と、授業のあき時間にゼミナール教室を利用し練習を行っており、先輩3 〜4年生の指導を受けております。班員は、4年生5人、3年生3人、2年生5 人で、この前に役員改選を行い、今は2年生が主となって活動しており、冬はス キー合宿、夏の合宿と、その他に学会としての旅行と、新聞学会ゼミナールを催 しジャーナリストを目指す学会員は活発な自主活動です。速記班出身の先輩(卒 業者)は、ほとんど新聞社、テレビ局、週刊誌社などで活躍されております。

新聞学会 合計130名(2年生以上)
 社会心理、ルポルタージュ、時事問題、新聞文章、速記、広報、世論調査

 7パートに分かれた組織のため、独立したクラブではなく、予算その他も学会 を通じます。
 会費はほとんど要しません。

 当研究班は、速記習得のみではなく、速記の必要性を説き、発生原因から出発 し、言葉の発生原因と結びつけ、速記は言葉への挑戦という形で取り組み、各速 記方式の養成所へ出かけていって個人個人実際に、さわりくらいは習ってきて、 比較研究しています。
 日大式速記というのはスピード面では他式に劣らないと言い切れます。反訳の 難点が今後の研究課題です。
速記研究班 チーフ M.S
「日大式」PDFファイル(671KB) ⇒




 さて、この日大式ですが、知り合いのS君が昭和53年ごろだったと思いますが 日本大学法学部新聞学会へ所属しておりました。S君から聞いた話によると「速 記研究班」は既に消滅しておりました。
 また「日本速記者名鑑」の昭和28年度版、昭和38年度版、昭和58年度版を調査 しましたが「中央式」及び「石渡修二」さんの手かがりは見つかりませんでした。
 また昭和58年版にも「日大式」という方式名も見つかりませんでした。


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