超中根式速記法

森 卓明著「超中根式速記法」昭和6年12月5日 初版発行 京都速記研究所


 中根式速記法の発明は、大正3年5月10日大阪毎日新聞によって江湖に紹介せられた、すなわち同新聞には「新案出の速記術、大学生の発明」と題して次のごとく記載せられてある。
 (※新聞記事は省略)
 発明者中根正親氏はその後速記とは全く縁を絶ち現在その創立にかかる京都両洋中学長(※1)として専ら育英に努めておられる。しこうして中根式の普及宣伝にはその令弟中根正世氏が専らその任に当たり、現に東京府認可中根速記学校長として速記者養成に従事さるる傍ら、速記国字論の立場から常に全国にわたり速記講演行脚にほとんど席温まるいとまもないありさまである。なお氏の著書中根式唯一の単行本「通俗 中根式速記法」(昭和2年11月発行)はかしこくも、天覧、台覧の栄に浴しているのである。
 私は大正8年8月22日より6日間毎夜7時半より2時間ずつ、初日は京都基督教青年会館、第2日目からは聖護院京都速記学校において、第4回中根式速記法講習会のあった節、発案者中根正親氏の講習を受けたのである。自来主として独学で速記の学と術との研究を重ね、時々中根正世氏のご教授にあずかりつつ、3年の後どうやら速記の実務につき得るまでになったのである。私はなお一層速記学の研究の必要を感じ、大正13年の秋京都速記研究所を開き内外の速記方式の研究を始めると同時に希望者に中根式速記法を教授し、さらに同14年1月月刊雑誌「速記研究」を発行し、速記に関するあらゆる研究報道をなしつつ今日に及んでいるのである。
 原始中根式の面影を知るためには大正5年2月中根正親氏講述の「中根式速記法講解」(※2)なる謄写刷3冊の著書があるだけであるが、これは既に希書に属するので容易に手にすることはおろか一覧することもかえって困難であろう。同書に「何をか中根式と称する」という問題が取り扱われてあるからここに要点を摘録してみる。
 「拙式はその立案そのものを中根式と称したいと思う、今後の研究者は第1立案、第2何派を取るべきかということを先に研究決定をしなくてはならぬ」(12ページ)
 これによると立案そのものが中根式であるというのであるが、しからば中根式の立案とはいかなるものか。
 「日本語は口語体文章体とも漢字の活字と助詞的仮名活字とをもってあらわすことができるといえる。これが余の立案中の骨組みである」(8ページ)
 これによると、漢字の短縮法と仮名の短縮法とをもってその立案とするということがわかる。漢字に音と訓とがある。音はいかに短縮するか、訓はいかに短縮するか。仮名には助詞類と助動詞類がある、これをいかに短縮するか。その立案を満足する方法として同書12ページに15カ条の特徴が挙げてある。
 すなわち
  1.「インツクキ」の書き方
  1.長拗音の書き方
  1.50音図本画の特殊選定(特にサ行、ハ行、タ行)
  1.「インツクキ」組み合わせ法
  1.「長拗・インツクキ」組み合わせ法
  1.長拗法
  1.助詞の書き方
  1.助動詞の書き方(下段使用)
  1.口語助動詞、動詞の書き方
  1.訓読転化法(上段使用)
  1.第一種線及び第四種線の活用
  1.ラ行短縮法
  1.助動詞の連続、助動詞と助詞の連綴
  1.同行「インツクキ」組み合わせ法
  1.成句省略法その他
 以上15カ条の特徴の中インツクキ法及び長拗法は漢字の音の書き方である。これは実に我が国速記界空前の大発明で邦語速記史上中根正親氏の功は実に偉大なものである。ところが同じ漢字でもその訓をあらわすのに「訓読転化法」というのを用いる、すなわち
 「訓読は音読で書いて反訳の際は訓で読むのである。例えば甚だをハナハダと書かねばならぬときには音読でジンと書き反訳の節これをハナハダと読むのである。云々」 (9ページ)
 しこうしてこれに対して著者はみずから「これはすこぶる融通応用が利くものである、
しこうして同一音で3字あるいは4字ないし6字の同音異義をあらわし得られる、これは我が国最初の試みであって、しかも余はこれまで多くの有識者をしてたちまち矛を折らしめたる得意の立証を有している」(9ページ)と言ってあるところから見れば中根式立案の重要な部分を占めていることがわかる。
 しからば、中根正世氏の「中根式」はいかに変わっているか。大体において原始中根式の踏襲である。原始中根式中加点インツクキ法、ラ行短縮法の廃止、助詞中2〜3の改良、口語助動詞・助動詞の下段使用によりさらに加点法に進めた点、第四種線の活用範囲拡張等が重なる特徴でなかんずくその最も特徴とするところは「国字の改善は一日も速やかならざるべからず、簡易速記文字の普及は一日を後るるべからず」という速記国字論に立脚し、「文字のために支配されてそのドレイとなるなかれ! 文字を支配して、その征服者たれ!」という主張のもとに、第一、学生の筆記難救済のために速記文字を普及するという、一種の宗教的熱情をもって東奔西走、自己の信念を満天下に訴えている点である。
 さて本書の立場は、私の現在までの研究の総決算であり、私の速記方式に対する理想の一部の具体的表現である。なお中根式速記法創案以来の発達進化の跡を明らかにするため、ところどころにその由来を付記しておいた。私は今なお方式の研究をやめない、今現にさらに高次の縮字法について研究中である。由来、速記方式が科学的であるためには略記法なるものは全廃さるべきである。しかし、略記法にまさるとも劣らざる縮字法の発見されない限りにわかにこれを廃することはできない。本書にはまだわずかではあるが略記法が残っている。さらに略記法全廃、縮字法をもって首尾一貫、科学的に組織されたる速記法として、諸君に見えることも余り遠きことではあるまい。
 本書に発表する方式は中根式基本文字、中根式の特徴たる逆記インツクキ法、助詞法の基礎を寸毫も変更せず、すなわち中根式を基礎としてさらにその上に中根式の表音速記法として不備な訓読転化法を全廃し、四種線略字を極度に制限し、新たに「和語縮字法」「外国語縮字法」を創定し、なお速記文字使用の数字方式を制定した、しかもこれらは全部逆記法の発展であって反中根式でも、外中根式でもない、これすなわち超中根式と称するゆえんである。
 本書は超中根式の全方式を組織的に記述したため、これによって直ちに速記術を学習せんとする方には少し難しいかもしれない。もしこれによって学習せられんとせられる方は巻末付録「超中根式速記術の学習方法」を熟読しその指図にしたがって勉強せられむことを望む。
 なお本速記方式が果たして最良であるかどうかは速記方式の発達史、世界における速記方式の傾向、日本の各速記方式の比較研究等の結果決められるべきであるが、それは自ら別個の題目として取り扱わるべきであるから本書には一切載せないことにした。それらについて知りたい方は極一部分の研究にすぎないが、「速記研究」第48号より連載の「比較速記法」を一読せられたい。
 
 
50音図
 中根式の創案者中根正親氏は、50音図の制定についてその著「中根式速記法講解」(20ページ)に次のごとく述べてある。
 「前述の50音図は種々考究の結果配定したものであって拙式の綴字体が最もピットマン式に近似するを得たるはいささか余の誇りとするところである。むろん余はピットマン式のごとき順流なる字体に近づくため、ほとんど幾回50音図配定を変じ改めたのだ。」
 なお「速記研究」第3号「中根式速記法の創案まで」という同氏の談話の中に
 「もちろんその第一歩として50音をいかに取り扱うべきかそのそれぞれに当つべき線の適否いかんということが最初に頭に起こってくる。普通50音に特殊の線を配布しただけでもって新しき式ができたというような気でおる人があるかもしれないが、しかしただ単に50音を制定するということは比較的易々たることであって、もしこれを理論的に最も適当なるものを採用しようとする場合には、よほどの苦心を要するということは余の特に味わった点である。したがって最後の方式が決定するまでにはほとんど17回基本線を取りかえたというようなありさまである。」
と言ってあるから、この50音図に対しては非常な敬意を払い、永久に変更しないということが何よりも我々学徒の義務であらねばならぬ。いかなる式でも50音図は創案以来たびたび改変されている、創案者も変更すれば学徒も改変する、しかるに中根式においては発表以来17年間(※3)一回の改訂もしない、これは非常な強みであると思う。願わくば今後多少の不便はあっても永久に改変せられざむことを、これ創案者に対する何よりの記念碑であり謝恩塔である。
※1 現在の両洋学園(京都市中京区三条西大路、幼稚園から高等学校まである)
※2 「中根式速記法講解」は昭和56年4月に兼子次生(つぐお)さんが和文タイプによって復刻版を発行している。
※3 昭和6年